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9月法要④  

9月法要 Ino家13回忌

9月法要Ino家1

9月法要Ino家2

9月法要Ino家3

9月法要Ino家4

9月法要Ino家5





youtu.be Ino家13回忌法話
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9月法要③  

9月法要 I家7回忌

9月法要I家1

9月法要I家2

9月法要I家3

9月法要I家4

9月法要I家5





youtu.be I家7回忌法話

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9月法要②  

9月法要 Ki家13回忌

9月法要Ki家1

9月法要Ki家2

9月法要Ki家3

9月法要Ki家4

9月法要Ki家5





youtu.be Ki家13回忌法話

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9月法要①  

9月法要 Mi家13回忌

9月法要Mi家1

9月法要Mi家2

9月法要Mi家3

9月法要Mi家4

9月法要Mi家5





youtu.be Mi家13回忌法話

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追憶法話4  

「追憶法話3」の続きです。

4.より良い葬儀とは?

 人の死、臨終について交々、お話をさせていただきましたが、次に気になることと言えば、葬儀でありましょう。ジミ婚等という言葉が一時期ありましたが、先日、顕証寺の信者さんの息子さんが20代で晴れて結婚されたという話を伺って、写真まで見せてくれてその親の喜びようが微笑ましく思われました。その方曰く「私たちの時は、亡き親が一手にやってくれて、今さらながらに感謝しておりますが、最近の子供たちは一切、親に頼らない。自分たちで決めて、お金も一銭も出していない。その代り、仲人も媒酌人も立てず、自分たちの演出でやったのです。でも、沢山の親族、お友達が披露宴に来てくれました。」と。
 今、葬儀も変わってまいりました。実は、ここ半年の間で、私も住職として考えさせられる葬儀が数件ありました。
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 一つは、先代住職。先程からお話に出ている私の師匠であり、父親です。昨年の2月中旬に様子がおかしいということで、病院にお連れしたところ慢性腎不全と診断されました。約1か月半、入院していただき、数値も良くなりました。4月初めに退院され、自宅で療養し、お寺の公務にも復帰されました。ところが、6月下旬に足の股関節を骨折し、再度入院となりました。この時に、腎臓の数値が既に上がっており、透析が必要と言われました。ご本人は「透析はしない」との意向でしたので、何とか医師も食事や薬で対処すると必死で臨んでくださいました。10月末に整形外科の方で、もう処置はないという判断でしたので、退院をして自宅で療養するように手配を開始しました。内科では腎臓の値がさがれば退院できるとのことでしたので、早速、介護認定を再度取り直して、要介護2だったのが5にまで上がり、訪問医療介護や毎日のヘルパーの手配、医療ベッドの注文などの手筈を急遽整えました。

 11月末に完了し、何時でも退院できるようにした矢先、下がっていた数値が上がり、退院が難しいと言われました。せめて、年末年始にでも一時退院、外泊が出来ればとお願いをしました。12月に入り、誤嚥防止のため、点滴で処置をするといわれ、不安が募りました。家内と秘かにベビーフードを求めて、スプーンで食べさせました。御本人はよく法話で「死ぬ時に、病院で生命維持の為、点滴や挙句、生命維持装置なるもので繋がれるけどあれを医者は隠語でなんというか知っていますか?スパゲッティというんだそうです。医者自身もそういう最後を臨んでいないと言われます」ということをよく言っておりました。先程、紹介した永六輔さんの大往生ではPPKといって「ピンピンコロリ」で死ぬのが一番良い。誰しもそう願いたいところです。
           日湘上人
 12月23日、前日まで石巻の被災地に行っていた私は、朝の勤行を終えて、午前中に病院に見舞いに行こうと思っていた矢先、病院から危篤との報が入り、急いで駆け付けました。朝は普通に会話をしていたそうですが、急に意識レベルが低下したというのです。実は、医者からもう終末の判断がでて、その書類の説明を受ける段階に来ていました。こんなにも早くその時が来るとは思いませんでした。家内と姉夫婦が詰め寄り、その間私は医師のところで終末のケアの判断に署名押印をしました。心臓マッサージ、胃瘻などいろいろありますが、せめて心臓マッサージでもと思ったら、女医さんが「電気でショックをあたえます。でなければ手で致しますが、肋骨が折れる場合もあります」と言われ、止む無く全部処置しないにサインをしました。それは、私の祖父の臨終のとき、父親が親族に延命処置をと言われたのに首を横に振ったのを子供ながらに見ていたからかも知れません。

 私にとっては、初めての判断であり、幾つかの人の臨終に立ち会っていながらも自分の父親、師匠の最後の判断を迫られたのですから複雑な心境でした。その書類を書き終える間もなく、心臓が止まったと告げられました。こんなにもあっけないかと思いつつ、すぐお寺にいる信者さんに電話して、「先住が危篤だから、本堂でお祈りしてください」とお願いして残っていた数名の方が終日、お祈りしてくれました。その日の予定を全部キャンセルし、縁故のある御住職方に連絡をしました。幸い、心臓が動きだし、脈も取れるようになって個室に移りました。その日は意識レベルが最低で反応はありませんでしたが、続々と御住職方がお見舞いに見えてくださり、遠くは東金、東京などから御法務のお忙しい中駆け付けてくださいました。ご信者方も毎日お寺に詰めてお祈りしてくださり、その甲斐あって意識レベルがあがり、翌24日の夕刻には目が開くまでになりました。
 
 結果、危篤から一週間の延命をいただきました。27日の晩、家内と交代で夕方から病院に詰めた私は、アルバムをもって行き、私の小さい時の写真を本人に見えるようにベッドの上に広げました。酸素供給のレベルが日増しにあがり、呼吸も大きく、ゆっくりになっていたのが小刻みに小さくなってきていました。両目を開け、きょろきょろと写真を見ていました。14歳で得度以来、父親ではあるけれど師匠、そして御住職としか呼んだことがなく、自分が2年前に住職になったのに「御住職」と呼んでしまうくらいでした。ですから、お父さんと呼んだのは中学生まででしたので、写真を見せるときは「お父さん、あのね」と語りかけました。ご本人の目にはうっすらと涙が出ていました。
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 それでも僧侶の悲しい性でしょうか?翌日には息を引き取った際、お着せする衣を袋に入れて用意している自分がありました。29日朝5時5分、姉と孫娘、私達夫婦の見守る中臨終をされました。
 数時間後、本堂の正面から御遺体が帰ってこられ、約40年住職をしたお寺に帰ってこられました。もう既に、沢山の御住職方がご自分の朝の勤行を止められ、駆け付けてくださり、葬儀の打ち合わせとなりました。私は借りてきた猫同前で、それでも信者さんの家に周り、所定の法務をこなしました。驚いたのは、臨終の姿です。腎不全ですから手足のむくみがあったのです。それが見る見るうちに引いて行ったのです。このむくみは、納棺や出棺のときまで取れない人がほとんどです。師匠は、亡くなったその数時間で引いているのです。更に、本葬儀出棺まで7日経っていたのですが、死後硬直無く、新しい衣をお着せするのにも難なく袖が通り、皆びっくりでした。肘や膝がダラーンと曲がるのですから。葬儀は大勢の方々の参列をいただきました。信徒の中には「こんなに素晴らしい葬儀見たことがない」と今までお寺とはお付き合い程度だった人が、その日以来、お寺によく足を運ぶようになられました。
葬儀祭壇 1月3日本通夜出座御教務方 霊廟内でのモニター参詣

 実は、師匠の病院に詰めている一週間の間に、一人の信者さんも危篤となられました。この人は80年間にわたる信仰のキャリアをお持ちで、私含め6代の住職に仕えた人です。
 師匠が臨終される一日前に、もう危ないということで、師匠の病室から小一時間抜け出して病院に駆け付けました。もうその時は、師匠よりも先に逝くような有様でした。耳元で御題目を唱えて「しっかり」と声をかけてきました。内心、葬儀になったらどうしよう?と思いました。ところが、それから意識が戻ったそうで、師匠の葬儀に孫娘が「葬儀に行ってきます」というと、こくんと頷いたというのですから。そして師匠の葬儀の際中に亡くなられました。御供をされたのだと思います。
 
 もう一人、師匠の後に亡くなられた方があります。この方は、顕証寺の信者になって7年くらいでしたが、よくお金の面でお寺に貢献をされました。ただ、ちょっと言動に行き過ぎるところもあって、気持ちは良い方でしたが、なかなか人間難しいところがあります。

 手前どもの本門佛立宗の開祖の日扇聖人という方がこういう歌を残しておりますが
「程のよい人はすくなし世の中よ ちとたらぬ人行き過ぎた人」
という御教歌を示されています。地獄の沙汰も金次第といいますが、確かにお金は便利です。でも、お金で買えないものも沢山あります。愛情であったり、善意であったり、やさしい労りの言葉であったり。札束で頬っぺた叩けば「愛している」なんていう嘘を言わすことはできますが、それは本物ではありませんね。
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 その方は、小さい時からご家庭が複雑で寂しい思いをされたと後で知りました。ですから親戚付き合いもあまりなかったように思います。まあ「遠くの親戚より近くの他人」とも言いますが。師匠の葬儀そして忌日にもよくお手伝いをしてくださいました。その時に「もうこれで私も送る人を送ったから」と意味深なことを言われて、以後、身体の調子が悪いということで、ちょっとお休み。良くなったらまたお寺へ行くからとのことでした。最後に私と話した時に「これは御住職だけにお話ししますが」と相談があり、まとめると先程述べました、この世の中はお金ではない、まごころが大事、お金目当てに寄ってくる人がいる等という話をしました。ご本人は気付いていました。ただ、ちょっと遅かった。
 
 それから、あまりにもお寺へ見えないので、信者さんが携帯電話へ電話しました。それでも返信がないので、たまたま息子さんとお寺に見える日が近づいたので息子さんに連絡をしてみたそうです。息子さんが行ってみると既に絶命しておられたそうです。死後、数日が経っており、お寺へご遺体が来られた時、死後硬直で服も着せられない程でした。私は思わず、温かいタオルを用意してと言い、それを使って今日来てくれていますときわ葬儀社の石原さんが一時間以上にわたって解してくれました。お蔭で開いていた口が閉じられました。いくら葬儀屋といってもなかなかできるものではありません。
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 このようにして、実際はお金をかければよい葬儀ができるというものではありません。今日の我々は、物質文明の虜になって、人々の心根も即物的というか、それだけに人の死を見つめない、誤魔化して過ごしている。しかし、ある人は茶化しながらも「大事にすべきは伴侶と医者と坊主だと」
 よりよい葬儀にするためにもまず「臨終の事を先に習ひて後に他事を習ふべし」とよい臨終を迎えるためにも誠実に他人の為になるような生き方を心掛けることが大事です。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ 東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロとイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニワタシハナリタイ

宮沢賢治の母イチ
「人間というものは、人のために何かしてあげる為に、生まれて来たのス」と、口癖のようにいいていたようです。

御指南
「人生れて一日片時もあとへもどらず 人身を受ける事希なる上に此御経にあへり、世間迷妄の凡夫唯眼前の欲に心を取れて未来を思ふ事なし 此経の行者今度いたずらに送る事なかれ 臨終に及んで後悔何の益かあらん」

大ボン(ブログ管理人)コメント:
「追憶のひととき」の法話いかがでしたでしょうか?中には、少し難しいお話もあったかもしれませんが、ご住職は分かり易くお話しして下さいました。葬儀に関しては、人それぞれ考え方があると思いますが、よい臨終・よい葬儀を迎えられるようにしたいものですね♪そのためにも「絆」を大切に(○^∀^)ノ

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追憶法話3  

「追憶法話2」の続きです。

3.行旅死亡人

 さて、皆さん!行旅死亡人っていう言葉をご存知ですか?これは飢えや寒さ、病気もしくは自殺や他殺などで身元が判明できない、いわゆる行き倒れた人の身分を表す法律用語です。「無縁孤独死3万2千人の衝撃」というタイトルで一昨年、NHKが報じました。年間、無縁孤独死を遂げた人が3万2千人に上ったというのです。たとえ、身元が判明しても葬儀をする家族縁者、埋葬してくれる人がいない場合も行旅死亡人扱いになるというのです。
 神奈川県では昨年、行旅死亡人が100件、官報に載っています。東京都では160件。地方自治体のそれらをまとめると万という数に到達するというのですから驚きです。ひと頃、交通事故死者数が一万人を数え、自殺者はそれの1.5倍と言われた定説が、今は交通事故死者が5、6千人に下がりましたが、自殺者数は十数年連続で3万人を超えています。ましてや行旅死亡人、行き倒れが万を数えるというのはもう一つ深刻なことです。
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 いわゆるホームレスには、その人の生き様もあるわけで、何か世を捨てるというか、厭世観という個人の思想も相まって、そういう生活を余儀なくしているという向きもあります。一方では、家族との折り合いが悪く、何らかの事情でホームレスになっているいう一様ではありません。が、考えなくてはならないのが、必ず人間は一人出てきて独りで死んでいくとは言いますが、一方では、親や皆の世話になって生まれて来、死ぬ時もお世話になって死んでいかねばならないのです。墓穴だって自分で掘る人は古来から居ないのです。自分で掘ったらそれこそ「墓穴を掘ってしまう」でしょう?

 今、そうした無縁孤独死が多くなり、新たなる業者が登場しております。それは、遺品回収業というものです。独り暮らしで、人知れず亡くなっていた。時には一か月も二か月も死んでいるのがわからなかった。それが今の時期のような夏であったらどうなるか?言わないまでも想像したらわかりますよね?普通は、今までは地域の民生委員さんや肉親、親戚が死後の処理をしていたそうです。しかし、人間数十年の間で積み上げたものは、仕事や経験ばかりではありません。いわゆる荷物の山もあるわけです。人知れず亡くなった亡骸はしかるべき人たちの手で一応、取り出され、それなりの道程を経て葬られますが、その後の清掃、整理、処理を誰がするのか?と言えば近親者ということになります。本来はゴミの山、ゴミ屋敷といわれるところを清掃する業者が今、無縁孤独死を遂げた人の後を清掃する遺品回収業となってその需要は年々増えているといわれます。
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 ところが、そうした業者はある意味、非常に親切に遺品回収をしてくれ、特に残ったお金などのことにはきちんと整理してくれています。また、処理ではなくあくまでも整理だと言い、処分をする時は必ず、お寺さんなどに頼んで供養してから処置をするといったように丁寧に対応をしてくれるというのです。 
 しかし、あってはならないことが起こりました。先月末、大阪のある自治体の環境課の職員が行旅死亡人のキャッシュカードから現金数十万円を引き出していたということです。「死人に口なし」と言えども、してはならないこと。あってはならないことです。
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「追憶法話4」へ続く…


大ボン(ブログ管理人)コメント:
実際に、行旅死亡人データベース官報掲載の行旅死亡人を纏めたものがありました。そのデータをちょっと覗いてみましたが、官報からの記載なので内容は文章だけですが、想像力をたくましくしたらちょっとエグイ内容もありました。次から次へと色々な方の特徴が書かれていて、その人数にビックリしました。今回はこの記事を書く為にだけ見ましたが、自分も身内にもこのデーターベースを見る機会がないことを心から願うばかりです。たとえ血がつながっていても、人と人との関係が希薄になりがちなこの時代、「行路」「旅路」に関係なく、どこの誰だかわからないご遺体が増えているようですね。家の中で死んでいても、傍らに身分証明書があっても、本人確認をする手だてがなく、遺体の引き取り手もいなければ、「行旅死亡人」として扱われる。「行旅死亡人」の遺体は地方自治体が火葬し遺骨を保存、官報に公告して引き取り手を待つことになりますが、めったに待ち人が現れることはないようです。
人と人との結びつきを改めて考えさせられる…そんな内容ですね。

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追憶法話2  

「追憶法話1」の続きです。

2.臨終とは?

 昭和50年代、高度経済成長の日本。安定期に入った頃でしょうか?テレビ文化の華やかかりし頃流行った番組に「赤いシリーズ」とか言った、山口百恵出演のドラマなんかがありました。また、昼メロドラマなんかで人が死ぬ場面の描写が良くありました。お医者さんが患者の脈をとって首を横に振りながら「御臨終です」というセリフが良くありましたね。ところが、最近あまり聞きません。むしろ「大往生でしたね」ということの方が多いのではないでしょうか?

 なるほど、私も肉親の最後もさりながら、多くの方々の死に目に遭っております。昨年、顕証寺の御信者の六十半ばで亡くなった方の最後を病院で見届けましたが、御主人から連絡を受け、病室へ駆け付けた時、装置の音がピピッと鳴っていて、ご本人の耳元で呼びかけましたが、反応がない。口元に手をかざしてみても呼気が感じられない。もう既に亡くなられていたと思います。でも、時折、波形が波打つのです。まだ、子供たちが揃っていないので、そのままにしてあったのですが、看護師さんが二回くらい先生を呼びますか?と来ましたが、結局、私が駆け付けた一時間後に娘さんが到着し、先生をお呼びしました。まず、ペンライトで瞳孔の検査。そして、私がしたように呼気の確認。手かざしと聴診器。脈を調べて、腕時計を見ながら「18時36分、死亡したとみられます」と言われました。えっ待てよ「見られます?」と思った瞬間、装置の事と一連の確認の理論説明をなされ、死亡と見られます、と告げられました。私は、ちょっと頼りないなと思いました。昔ですと「御臨終でございます」ともっと死には「威厳」というか、人の最後には重みがあったというかそういうイメージを持っていましたから、ちょっと腑に落ちませんでした。
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 先程、大往生という言葉を述べましたが、「大往生」というのは、かつて永六輔さんが書いた本のタイトルで有名ですが、一般的には「安らかで立派な死」という解釈です。そもそも「往生」というのは、極楽浄土へ往って、生まれ変わることを言います。それにはただ死んだだけでは往かれない。これは、浄土宗や浄土真宗等のいわゆる念仏を唱える宗旨の考え方です。南無阿弥陀仏と阿弥陀如来の救済を信じる人達の考え方です。それが、「往生際が悪い」とか、仏教用語として世間に用いられた。「大往生」も永さん御自身、実家がお寺さんで、俗臭ふんぷんたる僧侶たちを見て「ああ、坊さんにはなりたくない」という反骨精神を持った著者が、いろいろな経験をして、やはり人間「大往生」するような生き方をしなけりゃダメだと半ば悟った気持ちで書かれたのが大うけして、そして「大往生」のベストセラーによってこの言葉も流行ったのではないでしょうか?往生、大往生するには、この本でも示唆されている日頃の私たちの考え方、行いにあるのです。

 ところが、浄土宗を開いた法然上人や念仏の信仰を唱えた聖人たちの最後が良くないということが伝えられているのです。「朝題目、夕念仏」っていうのをご存じでしょうか?これは比叡山、つまり天台宗の宗旨を判り易く言ったものです。朝、御題目を唱えて勤行し、夕方は同じところで念仏を唱えて勤行することです。法然上人も親鸞上人、禅宗の道元、栄西、そして日蓮聖人も皆、この比叡山で学んでいるのです。

 しかし、その後、法然上人は念仏を唱えて浄土宗を開きました。弟子の親鸞は浄土真宗を。栄西は禅の修法を示し臨済宗、道元は曹洞宗をそれぞれ開宗したのです。日蓮聖人だけは、比叡山天台宗の依経である法華経の信仰を更に実践され、御題目つまり南無妙法蓮華経と口に唱えることを専らに実行されたのです。念仏の思想は厭世といって、この世は汚く、厭な世だから弥陀の念仏を唱えて、早く極楽浄土へ往きましょうと世を儚み、捨てるような考え方です。

 それに対し、御題目の精神は、この世は濁った嘘偽りの多い世の中ではあるが、それはちょうど水面に綺麗に咲く蓮華の華が、水底の泥の中に根差しているのと同じように、この世の中にあって、正しいみ佛の教えに基づいて従えば、必ず佛・菩薩・諸天善神のお守りがいただけ、この世の中もみ佛が在しますのと変わらない安穏な世の中にすることができる娑婆即寂光という考え方であります。その為には、まず他人を思い、人助けの精神で行動できるようになりましょう。そこで南無妙法蓮華経とお唱えするのです。また、御題目を唱えると自然にそのような精神、考え方にもなってくるのです。そして、臨終の際、どんなに罪深い人で強欲な人でも「ああ、死は怖いけれどどうか御題目さまお願いします」という気持ちでお唱えしますと、み佛の処へ連れて行っていただけるのです。
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 実は、日蓮聖人は、「往生」という言葉はあまり使われていません。それは、往生を唱えた法然上人の臨終が良くなかったということを比叡山に学ばれているときに知られたからです。日蓮聖人も朝には念仏を唱えて、むしろご自分も念仏の思想を研究して故郷へ帰ろうと思われていたくらいだったのです。法然上人は平清盛と同じ「熱病」で亡くなっております。その前後に出た念仏提唱者らも柳の木に登って投身自殺をしたが、落ちて死にきれず、何十日も苦しんで死んでいます。それまで念仏を信じていた日蓮聖人にとってショックな事実だったと思います。

 なにがショックだったのかを詳しく言いますと、法然上人が天台宗の出身でありながら、その依経である「法華経」の教えを「捨てよ、閉じよ、閣(さしおき)、なげうて」と批判して、西方極楽浄土の阿弥陀如来を立てて救済を説いたのに、最後に苦しんで熱病にかかり死亡したことだったのです。日蓮聖人は考えられました。「往生」や「大往生」ではなく、如何に「臨終」が大事であるかと。
 
 み佛つまり、仏教の教主はお釈迦様。釈尊とも言いますが、インドの釈迦族の王子として出生したゴータマ・シッタルダは、何、不自由なく文武両道を究め、妃を貰い子供ももうけましたが、四門出遊というお城の外で人間の生老病死、四苦八苦を垣間見、人生に懐疑を抱き、19歳で出家し、難行苦行を経て30歳にして菩提樹下において悟りを開いて成道されます。爾来、50年間、ブッダとして悟りの法である「仏教」を説かれ、80歳にして涅槃寂静に入られたのです。

 仏教はむしろそうした釈尊の生き様、人生観を教示したもので、仏教には過去、現在、未来の三世の救済が説かれているのです。その教えを収録した仏典には、様々な佛や菩薩、諸天善神が登場しますが、それは様々な角度で、人間とは宇宙とは、そして今をどう生き、死んでいくのか。生命に限りがあるのか、無いのか?という問いかけが含まれています。日蓮聖人は「釈尊出世の本懐は、人の振る舞ひにて候ひけるぞ」と示され、私達人間の「来し方 往く方」がお釈迦様の言いたかったことだぞと強調されているのです。そして「先、臨終の事を先に習ひて後に他事を習ふべし」との死生観が人生の指針であると言及されています。

 臨終と言えば、山田風太郎著「人間臨終図鑑」という面白い本があります。著者も既にお亡くなりになっておりますが、古今東西292の著名人の生き様、特に死ぬ時にどのような亡くなり方だったのかというのを調べ、上下巻特の3巻が編集されています。
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その中にはキリストの最後まで書かれていますが、敬虔なクリスチャンだったら「それは偏見だ」と言われかねないような書き方ですが、敢えて書かれているのは興味深いことです。皆さん、西暦は、キリストの生まれた年が紀元ということは、誰でもご存知だと思いますが、人間臨終図鑑では、紀元前4年と生年がズレて表記してあります。また、キリストの最後について「神は我を見捨て給うか」と十字架に磔された最後を描写しています。キリストは32歳で亡くなっています。

 もう一つご紹介しますと、かの宮沢賢治です。37歳で亡くなっておりますが、有名な「雨ニモマケズ~」のような最後で、32歳の時に肋膜炎にかかり、肺結核と最後は肺炎で死んでいます。昭和8年9月20日の朝、百姓への農業指導をしていた賢治の処へ、一人の農夫がやってきて、肥料の事でと賢治は病気をおして病床から起き相談に乗ったのです。しかし、その農夫はまた同日夕方に再度訪れて、結果賢治は急性肺炎を起こしてしまったのです。翌9月21日、母親が用意した土瓶の水を美味しそうに飲み、オキシフルで全身を消毒してもらい、母親が部屋を出ようとして、もう一度覗き込むと、呼吸がおかしくなっていた。それでも意識はハッキリしていて、国訳法華経の印刷や頒布のことについて遺言したのが最後。午後1時30分の事だったそうであります。それにしても、この農夫はとんだ死神ですよね?でも、この無神経な百姓の名は未だに知られていないそうです。賢治の家族をはじめ、純朴な人々の思いやりから不明ということにされたのだろうと山田風太郎はコメントしています。それもそのはず。宮沢賢治の母親はいつも口癖のように「人間というものは、人の為に何かしてあげる為に、生まれて来たのス」と言っていたそうであります。まさに「雨ニモマケズ・・・サウイフモノニワタシハナリタイ」を実践した生き様であり、臨終の姿であると思います。
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 世間の諺に「臨終の一念は多年の行業による」とあります。臨終のときにその人の人となり、行いが全て表れるというのです。血で血を洗うようなことをすれば因果応報になるのは当然でありましょう。毀誉褒貶定まらぬ世の中にあって、最後「棺を覆って事すべて定まる」かどうか?相手を憎めば、憎まれる。悪口を言えば、言われる。平清盛、源頼朝、織田信長等。権力を欲しい儘に、殺傷を繰り返し、信長は比叡山を焼き討ちし、何千という僧侶、女子供を殺害しています。その最後終焉は、味方であった明智光秀に謀反を起こされ本能寺で自決しています。

 実は、臨終が良いか悪いかで、死後、浄土へ往けるか地獄へ行くかも決まるのです。古来から仏教では、臨終の相、姿によって浄土へ往くか、地獄へ堕ちるかが決まるとされています。龍樹菩薩という方が「大智度論」という書を残していて、それには「臨終の時、色黒くなれるは地獄の相」とあります。反対に、生前、どんなに器量が悪くても素直正直な人は、臨終の時、色白く顔形姿も柔らかく、穏やかであれば天に赴くとあります。

 仏教では生まれ変わりを信じますが、詳しく言いますと輪廻転生と言います。生きとし生けるものは生まれ変わり死に変わりすると説かれるのであります。これは宇宙の生成、理を見ればわかります。星の一生と同じなんですね?仏教では、宇宙世界の単位を心と捉えます。つまり、私たちの心、もう少し別の表現でいえば魂に宇宙と同じ世界が詰まっている。宇宙には無数の星々がありますが、私たちの心、魂と全宇宙は繋がっており、またその心に果てしない宇宙が存在するのです。

 先頃、ヒッグス粒子の発見が証明され、宇宙の創成が解明される大きな手がかりと報道されました。専門に勉強しなければわからない理論ですが、その宇宙が我心に有ると悟られたのが佛陀釈尊なのです。そして、その心、宇宙は十の精神世界からはじまるとされます。十界と言います。それを下から言いますと、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・佛と次第します。私共の輪廻転生はせいぜい地獄から天上までの六道を行ったり来たりするのです。その上は、聖者の世界でそれなりの修行をしませんと六道から免れず、往くことができません。六道輪廻では常に迷い、苦労をしなくてはなりません。その中でも、地獄・餓鬼・畜生は最悪の世界です。
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 ここに行くと人間に生まれ変わることさえ難しくなります。譬え人間に生まれ変わったとしても、すぐに死に殺される。これが地獄の果報なんですね?餓鬼は飢え苦しまなければなりません。大変痛ましい話ですが、生後間もない赤ちゃんを母親が育児放棄、ネグレクトとも言いますが、結果、死んでしまっていたという事件があります。何の罪もないと言いますが、そういう境遇に生まれてくるのも餓鬼の果報。つまり前世の行いの結果とも考えられます。これは餓鬼。常に人から蔑まされる、まるで犬猫のような扱い、そして本能の趣くままににしか生きない。性欲や食っちゃ寝るに明け暮れる。仕事もせずダラダラと目的もなく生きているだけだとしたらこれは畜生と言われます。

 今の世の中にはこういう仏教の考え方は殆ど知られていません。昔は、子供が勉強するところの一つにお寺がありました。お寺には恐ろしい地獄絵図というのがあって、嘘をついたら閻魔さんに舌をぬかれる、人を殺せば体を常に鬼に切り刻まれる「なます地獄」に行くぞ!と脅かされ、それが一つの人間教育になっていたのではないでしょうか?痛ましい事件が続々と報道される度に胸が痛みますが、あの滋賀の自殺した中学生はまさに「修羅場」であったのでしょう?遺族や関係者は、衷心より冥福を祈って上げ、少しでも次の一生はステージが修羅にならぬよう、もういちど平穏な人間として生まれ変わるよう供養してあげるべきであります。しかし、驚くことにいじめをした数人の生徒が体育館での黙祷の場面で、笑っていたというのですから。人の死をなんだと思っているのか。この子らは法律で罰せられなくとも、ちゃんと因果応報で裁かれます。これは地獄行きです。

 さて、話しは長くなりましたが、もう少し臨終の相でどのようなものがあるか、仏典をあたりますと、まず地獄や餓鬼、畜生に生まれ変わる臨終の相に25が挙げられています。

地獄に堕ちる相として15あります。
①自分自身や夫婦家族を睨む 
②両手をあげて宙をひっかく 
③宗教(神仏)を信じない、教えにも従わない 
④悲しくて嘆き叫び涙を流す 
⑤汚物(糞尿)をたれても意識がない 
⑥目を閉じて開かない(ぎゅっと閉じて、恐ろしくてみたくない)
⑦常に頭や顔を覆う 
⑧横に寝ながら飲み食いする 
⑨体が臭くて汚れている 
⑩手や足が震える 
⑪鼻柱や口が曲がっている 
⑫右目がピクピクする 
⑬両目が赤く充血する 
⑭顔をうつ伏せに伏す 
⑮横向きに伏す

餓鬼に趣く相として8あります。
①唇をなめる 
②体が火のように熱くなる 
③飢えや喉の渇きを訴える 
④口が腫れて唇が合わせられない 
⑤目が乾燥して合わない 
⑥小水がでない、大便たれながし 
⑦右ひじが冷たくなる 
⑧右手は常にこぶしを握っている
 
畜生に趣く相として5あります。
①妻子を愛する故にじっと見て目を離さない 
②手足の指が縮む 
③体全体から汗が出る 
④がらがら声になる 
⑤口から泡をふく

 いかがですか?ただ、これらの項目が大半を占めるということなので、一つや二つは臨終の相としてどんな方でも表れると思います。普通に死にたいですよね?

「追憶法話3」へ続く…


大ボン(ブログ管理人)コメント:
すごく勉強になるお話で、法話だからこそ聞けるお話ですね。
(●゚ェ゚))コクコク
十界の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・佛。輪廻転生で人間は地獄から天上までの六道。その六道輪廻でたとえ苦労をしたとしても、地獄・餓鬼・畜生だけは行きたくないものですね(艸Д<)

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追憶のひととき法話1  

2012/7/16日に行われた第5回『追憶のひととき』での法話内容を
より分かり易いように今回は文章にて記載します。

「よき臨終、より良い葬儀とは?」

                     顕証寺住職・信清宏章
1.はじめに

 今回は、「よき臨終、より良い葬儀とは?」ということでお話をさせていただきます。
 私には「三つの嫌い」がありまして、実はどれも好きなのではないか?あるいは、そんな風には見えないと誤解されていることが3つあるんです。

 一つは、車なんです。「住職、いい車乗っていますね?」と言われます。確かにいい車です。でも、あまり車の事、詳しくないし、趣味ではないのです。でも先代の御住職は好きでしたね?それがあったから私も「好き」と思われていたんです。先代の御住職が晩年、寄る年波で運転が覚束なくなってきて、私の知らないうちに事故を一年間で三回起こしたんです。いずれも物損事故でしたからまだ良かったんです。最後は、よりによって車を運ぶキャリアカーにぶつかったものですから(笑)クラウンが大破ですよ。電話で「事故したから、今ディラーにいる」と掛かってきて、てんやわんやで急いで駆け付けたら「もう新しい車買ったから」ということで迎えに行ったのにさっさと新しい車で帰ってしまいました(笑)絶対に事故した車を見せないんですよ。後でセールスマンに聞いて、写真見せてもらってびっくり。よく怪我をしなかったものだと思いました。そこで買った車がそれまでとは違いリッターカーの小さい車。信者さんからも「危ない」といわれ、ある信者は「御住職はそれなりの車に乗って貰わなければ」とも言われました。そう言われて、何でもいいというわけにはいかないのかと。でも、私は本来、車が好きでない。特に車の運転が、嫌いなんです。それが好きだと勘違いされている。先代は好きだったと思いますが。
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 二つ目は、先代も非常に気の好い方でした。誰とでもお話が出来る。当然ですよね、僧侶だから。でも、先代は本当は独りで読書するのが一番好きだったんです。でも、僧侶でましてや住職なのですからいろいろな方ともお話しなくてはなりません。本もさりながら、色々な経験をされてこられました。戦時中は海軍航空隊の予科練生として。復員後は進駐軍との交流等。ですから、お話のボキャブラリーは豊富でした。お寺に出入りする業者なんかにも気が良く、ご飯なんかも振舞ったりしてね。だから、調子に乗る人は、住職を友達みたいに思って勘違いする人も居ました。でも、基本は「人嫌い」なんですよ。だから、籠って本を読んだりすることが好きでした。外に出て、人とお付き合いするのが好きと見られていたんですね?そのDNAを私も少なからず持っています。でも、そう見てもらえない。ですから、私の嫌いな二つ目と言えば、究極は「人嫌い」なのです。どういう人が嫌いかと言えば、挨拶のできない人は嫌いなんです。「親しき仲にも礼儀あり」で、私も人として挨拶がきちっとできるようにと心掛けています。 
575.jpg
 
 三つ目は、これも先代住職、私の師匠に起因しますが、師匠は良く時事問題に詳しい方でした。信者さんの多くは新聞読まなくてもテレビ見なくても御住職の話を聞いていたら物事の裏までわかると言われていました。ただ、話が長い(笑い)これも私が受け継いでおりますが、とどのつまり、人前でお話することが嫌いなんです。シャイというか、好きなように見えて実は嫌いなんです。

ということで、前置きが長くなりましたが、今日は皆様にわかりやすくお話をさせていただこうと思っておりますが、話し下手を一つ考慮してお聞きくだされば幸いです。

「追憶法話2」へつづく・・・


大ボン(ブログ管理人)コメント:
 先代のご住職のお話は、ビックリすることが多いです♪今でいうと…ワイルドですね(笑)それにしても、ご住職の意外な一面や人柄が垣間見れたような気がしますね♪実は「人嫌い」だったというのは本当に意外でした(゚Д゚ノ)ノ
「親しき仲にも礼儀あり」皆さんきちんと挨拶してますかぁ(笑)

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