6月法要E家  

E家7回忌法要
6月法要E家1
6月法要E家2
6月法要E家3
6月法要E家4
6月法要E家5
6月法要E家6





youtu.be E家7回忌法話

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

6月法要Iwa家(霊廟)  

Iwa家一周忌法要(霊廟)



youtu.be Iwa家一周忌法話

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

6月法要So家  

So家3回忌法要
6月法要So家1
6月法要So家2
6月法要So家3
6月法要So家4
6月法要So家5
6月法要So家6





youtu.be So家3回忌法話

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

6月法要Ha家  

Ha家一周忌法要
6月法要Ha家1
6月法要Ha家2
6月法要Ha家3
6月法要Ha家4
6月法要Ha家5
6月法要Ha家6
6月法要Ha家7

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

6月法要Ta家(霊廟)  

Ta家3回忌法要(霊廟)
6月法要Ta家1
6月法要Ta家2
6月法要Ta家3
6月法要Ta家4
6月法要Ta家5
6月法要Ta家6
6月法要Ta家7
6月法要Ta家8
6月法要Ta家9
6月法要Ta家10





youtu.be ta家3回忌法話

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

6月法要O家  

O家13回忌法要
6月法要O家1
6月法要O家2
6月法要O家3
6月法要O家4
6月法要O家5
6月法要O家6





youtu.be O家13回忌法話

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

本門佛立宗の挨拶  

顕証寺墓苑のお隣には本門佛立宗 鎌倉山 顕証寺がありますが、その顕証寺の寺報6月号にある所感抄の文章にもありました「本門佛立宗の挨拶」について本門佛立宗のHPによくわかる解説がありましたのでご案内させていただきます。
以下、本門佛立宗HPより抜粋


本門佛立宗の挨拶

 佛立信者は、互いに顔を合わすたびに「ありがとうございます」と挨拶を交わします。初めて聞いた人はちょっと不思議に感じるかもしれませんが、ありがとうございますとは「有ることが難い」、つまり滅多にないことを喜ぶ感謝の言葉なのです。

 日蓮聖人は、

 「自らの罪障によって、三悪道〔地獄・餓鬼・畜生の世界〕に堕ちるものは大地の塵の数よりも多いが、人間として生まれることは爪の上の土よりも可能性が少ないものである。その上で、仏の真実の教えにお出値いすることは爪の上の土よりもさらに少ないことなのである」

とお言葉を残されています。人間として生まれ、御題目のご信心にお出値いすることがどれだけ貴重でありがたいことかををお教えくださっているのです。

 久遠本仏もその昔、初めて成道を果たされたときには「御題目の功力を信じる心をおこし、『ありがたいなぁ』と喜びの気持ちをもって御題目をお唱えした」と、法華経本門八品の教えのなかで明かされました。その修行と同じ事をすれば、我々も同じ成仏を果たすことができると仰せなのです。つまり私たちは、御題目をお唱えするにしても、他の人にお勧めするにしても、そこには常に「喜びの心」がともなっていなければならないのです。

 ご信心は「ありがたいなぁ」と感じる心……佛立信者は常日頃からこの想いを懐いているからこそ、自然とこの挨拶が生まれてきたのです。

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

本門佛立宗の御題目について  

顕証寺墓苑のお隣、顕証寺の本門佛立宗のサイトにて【本門佛立宗について】【御題目をお唱えするとどうなるのか?】というテーマの記載があり、本門佛立宗の事が少しでもわかるかなと思いましたのでご紹介させていただきます。(以下、本門佛立宗HPより抜粋)


【本門佛立宗について】
 
 本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)の修行の中心は、口に御題目「南無妙法蓮華経」とお唱えする「口唱行」です。南無妙法蓮華経が認(したた)められたご本尊に向かって、一心に繰り返しお唱えすることによって、その御題目にこめられた功徳を頂戴することができます。その積んだ功徳によって、病弱な人は健康になり、学業・仕事は成功し、心の悩みは解消され、人間関係は改善、災難から逃れるなど、我が身・我が心に、目に見えるかたちで様々なご利益が顕れるのです。

 佛立宗のお唱えする御題目は、いわばどんな病い、悩み、願いにも効く「万能薬」です。御題目さえお唱えしていれば、「学業成就にはあの神社…」「安産にはこのお寺…」といったように、あちこち神社仏閣を巡る必要もありません。

 さらにありがたいのは、この御題目の口唱行は、幼い子供からお年寄りにまでできる、とても簡単な修行だということです。御題目口唱以外に難しいお経を読む必要もありません。口唱行は誰にでもできる簡単な修行で有り、当宗の法要では、教務(きょうむ:当宗の僧侶の呼称)とご信者が一同に「南無妙法蓮華経」と口にお唱えするのです。

 御題目を唱えるだけ…そんな簡単なことでご利益が頂けるのか?この御題目口唱一筋のご信心の尊さ、その功徳の絶大さは、実際に唱えてみた人にしか実感できないものです。とにかく疑いの気持ちを抑え、御題目の経力を信じ、口唱行を実践することが、その偉大さを感得する一番の方法なのです。

 なぜ佛立宗では御題目の口唱行を修行とするのか?なぜそれだけで十分なのか?そのわけを、順を追って見ていくことにいたしましょう。

 南無妙法蓮華経の御題目は、『法華経』という仏教経典の中に説き顕された、いわば魔法の言葉です。まずはその法華経が、どういうお経なのかを見てみましょう。


【御題目をお唱えするとどうなるのか?】

 では実際に「本門八品所顕、上行所伝、本因下種の南無妙法蓮華経」を口にお唱えするとどうなるのか?その口唱行の結果、得られるものを「功徳」と呼びます。功徳には2つのはたらきがあり、1つは「罪障を滅する」はたらき、もう一つは「善を生み出す」はたらきです。

 「罪障」というのは、いわば不幸や災難を生み出すエネルギーのことです。何か悪さをはたらくと、必ず同時にこの罪障という、将来自分が同じ、あるいはそれ以上の悪い報いを受ける原因となるエネルギーを、心に蓄積してしまいます。誰かに嫌がらせをしたり、悪口を言ったり、あるいは心で憎んだりと、その一つ一つの行いが罪障というものを積んでしまうことになるのです。この罪障は肉体が生まれ変わっても、ずっと魂に刻み込まれたまま、次の世に持ち越されるもの。現世において「なぜ自分だけこんなひどい目に遭わなければならないのか」と思う人は、過去から積んできた罪障が、それだけ大きいものであるという証拠なのです。その罪障を消滅し、我身に起こる災いを減らしてくれるのが、功徳のはたらきの1つなのです。

 もう1つのはたらきは「善を生み出す」、つまり「御利益」という目に見える形で我々に幸いをもたらしてくれる力です。御利益には「今を生きる現世での御利益」と「未来世の成仏という御利益」の2つがあります。口唱行に励めば功徳がどんどん積まれていき、その結果、現世では幸せな人生を歩むと共に、臨終を迎えた際には成仏という大きな果報を頂戴できるのです。

 特に現世において、我々の目に見える形で現れるご利益のことを「現証の御利益」といいます。それを目にした喜びによって、なお一層「御題目のご信心はありがたいなあ」と我々の信心を増進させ、立派なご信者へと成長させてくださるのです。当宗ではその現証の御利益を実際に頂いたご信者の体験談が数多く存在します。もちろんこのウェブサイトでもご紹介させていただいていますが、医者が見放した重病が治癒したり、会社や家庭、学校での人間関係が改善されたり、仕事・学業の成功、精神的な病の改善など、その御利益は数えきれません。これは本仏の真の教え通りに修行しているからこそ、頂ける果報なのです。 

 そんな大変ありがたい口唱行……簡単な修行であるがゆえに、実はとても奥が深いのです。口唱行を含めた、ご信心そのものについていつも身近に指導してくれるのが、当宗の僧侶、お教務さんです。

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

顕証寺報6月号 所感抄  

顕証寺報 6月

所感抄
                                    顕証寺住職・信清宏章

佛立開導日扇聖人御教歌に

信者のみうちよる組は
       中もよし
  物識貧乏苦情ひまなし

大意
 佛立信者とは、どんな時でも信心第一、御宝前第一、そして御弘通を心がけ功徳を積むことに真剣な人達ばかりで、常に前向きな考え方で何事にも取り組みます。ところが、中にはそうでもない人達もいます。その人達は、御法門を空聞きし、嘘をついて御信心御奉公を怠け、はたまた教務信者の噂話を好み、それがさぞ「自分は何でも知っている」と慢心の材料になるだけで御弘通上、何の益もしない不信者の体を成しているのです。本当の意味で「楽しく」御信心御奉公させていただくには、以上の点をよく踏まえて、物識貧乏苦情に暇がないような寄合にならぬよう、くれぐれも注意が大事とお示しの御教歌です。


 今から40年程前になりますが、先の本堂が建って5年くらいでした。また、先住師匠が御住職に就かれて四・五年経った頃です。顕証寺に書道教室と華道教室がありました。書道教室は、今でも現役で教えていらっしゃる戸塚一教区の鈴木位知朗さんが先生で、師匠もその先生から習っていました。後年、新本堂が出来てからも書道教室は暫く開かれ、私も習いました。今も顕証寺での書道教室を再開してもらいたいくらいです。

 もう一つの華道教室は、Fさんという当時顕証寺のご信者が指導されていました。生徒さんも結構おりました。その生徒さんたちも齢八十を迎えています。四十年前ですから、年齢はその半分でしたね(笑) 後年、私が聞いたことですが、その先生が去るとき、こう言い残していったそうです。「将来の顕証寺は変わりますね」と。それがどういう意味だったか、多くの人にはピンと来ていなかったと思いますが(今も思っている、あるいは気が付いていないかもしれません)その生徒さんたちの人となりを、やはり明治生まれの人から見た、あるいは人を教える立場、感性から言ったのかもしれません。ただ、信者としては「古法華」の見方もあったかもしれません。

 先日、あるご信者から「今の世間の人達、特に口の利き方がなっていないんです」という話を聞き、最近、ご信者と接していても「大分、変わってきた」と思う出来事が去来しました。先月の婦人会御講で「言葉の使い方」を教えてくださいとのことでしたが、席主の信受会が用意してくれた「丁寧語・謙譲語・尊敬語」のテキストを中心に致しましたが、御奉公上の言葉の乱れを是正させるような話題には辿りつけませんでした。それだけ、今は日本語の「基本」がなっていないんだと幻滅するくらいです。

 本門佛立宗では「ありがとうございます」というのが基本の挨拶であることは、まずご信心を始めたころに教わり、身に付けるものです。ところが、ご信心の家庭内でそのような基本を教えているのだろうか?御会式にしかお参りしない、あるいは霊廟やお墓だけで繋がっているような檀家みたいな人の中には、こちらが「ありがとうございます」と挨拶すると「どういたしまして、何時も内の親が(奴‥例、奥さん)が世話になっていまして(笑)」という挨拶が返ってくる場合があります。十代二十代の店員またはテレビの芸人が言うようなアクセントなどを真似して「ありがとうございまーす」などと語尾を伸ばした言い方をする五十代六十代の信者がおります。これは、みっともないから止めなさいとお折伏(しゃくぶく)したことがあります。

 もう一つは、教務住職のことや役中の批判を平気でする。あるいは揚足をとる。もっと言えば反発をする。得てしてそういう人は「仲間」を作るんですね。でも、案外そういう人はある種、出来る人でもあるんです。実に勿体ないと思うのですが・・・。世間でも「器用貧乏」っていますよね。と、いいながら文体が随分だらけてきました(笑)師匠から前に「お講ってなあに?」と寺報に載せたら「そんな言葉載せるんじゃない!」と怒られたことがあります(苦笑)

 器用貧乏と言えば、大智度論に「貧に二種あり、一には財の貧、二には功徳法の貧なり。功徳法の貧は、最も恥づべし。財貧は好人にも亦あり、法貧は好人には無き所なり。」とあり、世間でいう器用貧乏というのは、御法、ご信心の上では「法貧」ということになるのでしょう。

 つまり、何が罪障になり、何が功徳になるのかを即座に見究める感性、信心があるかないかということでしょう。法貧とは功徳貧乏であり、物識、理屈が先立って、口唱・参詣・教化・助行という実践が出来ず、沸々、悶々と苦情に暇がない人に成り下がるのです。

 役中とよくいいますが「役に中る(あたる)」と読みます。中るというのは、責任と使命をもって役に臨むということであります。その役中が責務を忘れ、あるいは自分の仕事だけをやればよいでは良い役中とはいえず、はたまた信者としての分際を弁えもせず、物識(噂好き)功徳貧乏、苦情暇なしの教区、班の御奉公体制にならぬよう注意したいものです。


開導日扇聖人御指南に
「何故ならば物識は御看経がきらひ。兎角人に高慢くさい事が云いたひ 又人に従ふて居る事がきらひ。何に諸天の御守なし 「病神貧乏神常に逗留」」(扇全十一巻三六九頁)


 そうです。物識り貧乏苦情に暇がない人達の体は、必ずと言って良いほど御看経(おかんきん)を嫌い、出来ないのです。そして従うことが出来ません。折伏(しゃくぶく)をいただくことが出来ないのです。それでは「現証御利益」は見せていただけません。教区長や役中さんの折伏に対して「先生みたいなこと言わないで」なんていう口吻(こうふん)を突きつける場面なんかは正に御教歌に示されたそのものであります。

 それとお参詣や御奉公が連日続くと「続いちゃう」などと漏らす人もありますが、これも信心前の程度を曝け出していると思います。「年寄てつとめ働き出来ねども 後世の菩提は今ぞ時なる」の御教歌を服膺(ふくよう)すべきです。どうか功徳を積み損なうような功徳貧乏になりませぬよう、潔い信心前で御題目口唱、折伏教化に励ませていただきましょう。


※【御看経】おかんきん
声を出して経文を読むこと。
【看経】かんきん
① 禅宗などで、声を出さないで経文を読むこと。⇔諷経(ふぎん)。
② 声を出して経文を読むこと。読経(どきよう)。誦経(ずきよう)。

※【折伏】しゃくぶく、しゃくふく
仏語。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。摂受(しょうじゅ)と共に衆生を仏法に導く手段。「相手の間違った思想に迎合することなく、正しいものは正しいと言い切り、相手と対話を通じて日蓮の仏法を伝えること。

※【口吻】こうふん
口先(くちさき)。口もと。転じて、物の言い方。話し方。口ぶり。「不服そうな―」

※【服膺】ふくよう
常に心にとどめて忘れないこと。

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

プロフィール

カレンダー

最近の記事

最近のコメント

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター