佛立大学講座 スケジュール  

佛立大学講座スケジュール2

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

7月法要Mi家  

Mi家7回忌法要
7月法要Mi家1
7月法要Mi家2
7月法要Mi家3
7月法要Mi家4
7月法要Mi家5





youtu.be Mi家7回忌法話

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

第1回 佛立大学講座  

第1回佛立大学講座1

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

7月法要Ta家  

Ta家13回忌法要&ケータリング
7月法要Ta家1
7月法要Ta家2
7月法要Ta家3
7月法要Ta家4
7月法要Ta家5





youtu.be Ta家13回忌法話


Ta家ケータリング1
Ta家ケータリング2
Ta家ケータリング3
Ta家ケータリング4
Ta家ケータリング5
Ta家ケータリング6
Ta家ケータリング7
Ta家ケータリング8
Ta家ケータリング9
Ta家ケータリング10

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

顕証寺報7月号 所感抄  

顕証寺報 7月

所感抄
                                    顕証寺住職・信清宏章

佛立開導日扇聖人御教歌に

 施餓鬼して経よまんより法界の
  回向に口唱するぞめでたし

大意
 亡くなった人への葬儀式、年回忌等の法事には、しきたりや体裁を気にするのではなく、如何に亡者の苦しみを取り除き、六道輪廻の堂々巡りの因縁を断ち切ってあげるかが大切です。その為には「元品の無明を切る大利剣」である御題目口唱の功徳を以って回向供養に臨むことが生者死者を共に救済する手立てであるとお示しになられた御教歌です。


 施餓鬼というのは、俗に施餓鬼会という仏教での死者を弔う習わしを言います。現在は盂蘭盆会(お盆)と併用されて行われていることが多いようですが、本門佛立宗では施餓鬼会という表記の行事は致しません。
syuryouuma.png ohagi.jpg mukaebi.png
 元々は、仏の十大弟子の逸話から起因する考えで、それが日本では先祖、亡者を弔う風習として伝承されてきたのです。施餓鬼会は阿難尊者のエピソードが起因となっています。ある時、阿難尊者が静かなところで瞑想座禅を組んで修行していたところ目の前に焔口(えんく)餓鬼という者が現れ、阿難に向かって「お前の命は後三日で終わり、自分と同じ餓鬼に生まれ変わるであろう」と告げたのです。驚いた阿難は「どうすれば救われるか」と問うと「飢え苦しみ悩んでいる一切の餓鬼に飲食の施しをし、佛・法・僧の三宝諸尊に供養をすれば良い」と言われるが、自分には飲食を施す金銭がなく、師匠の釈尊に仰ぐと菩薩の修法の呪文を唱えるようにと教わりました。早速、たった一つの供物を御宝前に供え、菩薩の修法を唱えるとそれが餓鬼たちに施す無量の飲食となって、それによって餓鬼たちも枯渇から脱し、自らの寿命も得られたというエピソードです。

 仏教では、生前に強欲な者が亡くなると「餓鬼道」に落ちるとされています。また、弔われることのない死者も餓鬼に堕するともいわれます。ただ単に死者を意味するともあり、更に生きている私たち自身の心の中にも「餓鬼界」があり、嫉妬深く、物惜しい、常に貪る行為が専らになれば餓鬼の世界そのものになるというのです。仏典には、九種乃至三十六種類の餓鬼がいると説かれています。1.無財餓鬼(一切の飲食ができない。常に飢えている。但し施餓鬼供養されたものだけは食べられる。)また中に三種あり。2.少財餓鬼(ごく僅かな飲食はできるが、残飯もしくは糞尿や不浄のものしか食べられない)また中に三種あり。3.多財餓鬼(多くの飲食ができる。贅沢はできるが、心は満たされることがない)あと他の経典に36種類ありますが、紙面の関係で割愛します。

 こうした餓鬼は現実の世界にも居るわけで、行き倒れで死亡した死霊が怨念をもって人間に取り憑き、飢餓をもたらすともいい、要は自分だけが良ければ他人の幸不幸なんか関係ないという人々が増えれば増えるほど現実の社会も餓鬼界になるということです。すなわち「人間死んだらお終い」という浅薄な人生観が横行すれば苦悩の因果は増長し、餓鬼道はもとより人生に迷い、六道を彷徨う因縁は到底、断ち切れません。

 「行旅死亡人」という言葉があります。行き倒れている人の身分を表す法律用語です。数年前、NHKの「無縁社会3万2千人の衝撃」という特集で日本国内における無縁孤独死を遂げる人が年間3万2千人を数えたと伝えられました。それらの殆どが「行旅死亡人」というわけです。神奈川県でも年間約100件の行旅死亡人が官報に報じられています。行旅を反対にすれば「旅行」になり、旅行先で死亡した人ととれば普通ですが、突然死それが普通の状態ではない、飢え、病気、事故そして自殺や他殺によって身元が判明出来ない、たとえ身元が判明しても遺体の引き取り手や葬儀埋葬をする家族などが無い死亡人の事を言います。俗に言う「無縁仏」ともなります。そのような境遇で死を迎えた方には、大変気の毒で居た堪れないことですが、生前の所業のしからしむことと言わざるを得ません。それらのものが餓鬼ともなって、そうした餓鬼が世の中にうようよしていると塗炭に取り憑かれて同じ果報を余儀なくされます。だから施餓鬼、御回向が必要なのです。

 しかし、今日各宗派で行われている施餓鬼会等は、しきたりや体裁のみで実質的ではありません。葬儀回向供養も戒名料問題やわからない御経読むばかり。おまけに「直葬」等、目も当てられません。生きている手前側の都合ばかり考えた遣り方に終始しています。

 また、たとえ各宗派が回向供養を施したとしても本当の「施餓鬼」にはなりません。「回向不通」です。それは各宗派の開祖、元祖の言から言えます。法然は「孝養のために精舎建立のいとなみをなすことなかれ」(法然上人行状絵図)親鸞「父母の孝養のためとて、一返にても念仏まふしたることいまださふらはず」(歎異抄)道元「忌日の追善、中陰の作善なんどは、皆在家に用ふる所なり」(正法眼蔵随聞記)等のように、亡くなった人の為にお寺を建てたり、念仏を唱えて親の回向供養をしたり、在家信徒の為に追善儀式をするのは坊さんの役目でないと否定的だからです。こんな頼りない宗旨で先祖供養するのですか?

 お祖師様日蓮聖人は、早くから信徒の四十九日忌、年回忌等を御題目口唱で行われています。御消息に「今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉て、只一遍唱へまいらせ候畢。最愛の御子を霊山浄土へ決定無有疑と送りまいらせんがため也」(新池殿御消息)と新池左衛門のお子さんが亡くなった御供養の返礼に御題目口唱の御回向をハッキリとお示しです。

 先日、突然葬儀をしていただけないかとの問い合わせがあり、スケジュールを見たらどうしても動かせないので、お断りをしました。ところが、どうしてもやっていただきたいとのことで、お骨上げ後、霊廟で御回向をさせていただきました。当初から葬儀をどのようにしてよいかわからない人々だったようで、故人の写真も用意されていませんでした。残された娘二人とその父親が何やら揉めています。聞くところ「何故、写真を用意しなかったのよ」と。そこで「写真はいつでも作れます。まずは御題目を口に唱えて追福作善を」と言うと、娘二人は素直に御題目を唱えていました。


 佛立開導日扇聖人御指南に
「先祖の弔ひせんと思はば、宗祖御本意の御抄の御法門を請招して、信者打寄本門の肝心、上行所傳の御題目を口唱して御法味に備へ、口唱の信者に供養して、此無量無辺の大功徳を以て、過去帳中一切の諸霊魂幷に法界群霊に回向すべし」(扇全十巻一八七頁)


宇宙法界まで口唱の功徳を響き渡らせるよう、御回向精神を以て信行に励みましょう!

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

プロフィール

カレンダー

最近の記事

最近のコメント

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター