追憶法話4  

「追憶法話3」の続きです。

4.より良い葬儀とは?

 人の死、臨終について交々、お話をさせていただきましたが、次に気になることと言えば、葬儀でありましょう。ジミ婚等という言葉が一時期ありましたが、先日、顕証寺の信者さんの息子さんが20代で晴れて結婚されたという話を伺って、写真まで見せてくれてその親の喜びようが微笑ましく思われました。その方曰く「私たちの時は、亡き親が一手にやってくれて、今さらながらに感謝しておりますが、最近の子供たちは一切、親に頼らない。自分たちで決めて、お金も一銭も出していない。その代り、仲人も媒酌人も立てず、自分たちの演出でやったのです。でも、沢山の親族、お友達が披露宴に来てくれました。」と。
 今、葬儀も変わってまいりました。実は、ここ半年の間で、私も住職として考えさせられる葬儀が数件ありました。
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 一つは、先代住職。先程からお話に出ている私の師匠であり、父親です。昨年の2月中旬に様子がおかしいということで、病院にお連れしたところ慢性腎不全と診断されました。約1か月半、入院していただき、数値も良くなりました。4月初めに退院され、自宅で療養し、お寺の公務にも復帰されました。ところが、6月下旬に足の股関節を骨折し、再度入院となりました。この時に、腎臓の数値が既に上がっており、透析が必要と言われました。ご本人は「透析はしない」との意向でしたので、何とか医師も食事や薬で対処すると必死で臨んでくださいました。10月末に整形外科の方で、もう処置はないという判断でしたので、退院をして自宅で療養するように手配を開始しました。内科では腎臓の値がさがれば退院できるとのことでしたので、早速、介護認定を再度取り直して、要介護2だったのが5にまで上がり、訪問医療介護や毎日のヘルパーの手配、医療ベッドの注文などの手筈を急遽整えました。

 11月末に完了し、何時でも退院できるようにした矢先、下がっていた数値が上がり、退院が難しいと言われました。せめて、年末年始にでも一時退院、外泊が出来ればとお願いをしました。12月に入り、誤嚥防止のため、点滴で処置をするといわれ、不安が募りました。家内と秘かにベビーフードを求めて、スプーンで食べさせました。御本人はよく法話で「死ぬ時に、病院で生命維持の為、点滴や挙句、生命維持装置なるもので繋がれるけどあれを医者は隠語でなんというか知っていますか?スパゲッティというんだそうです。医者自身もそういう最後を臨んでいないと言われます」ということをよく言っておりました。先程、紹介した永六輔さんの大往生ではPPKといって「ピンピンコロリ」で死ぬのが一番良い。誰しもそう願いたいところです。
           日湘上人
 12月23日、前日まで石巻の被災地に行っていた私は、朝の勤行を終えて、午前中に病院に見舞いに行こうと思っていた矢先、病院から危篤との報が入り、急いで駆け付けました。朝は普通に会話をしていたそうですが、急に意識レベルが低下したというのです。実は、医者からもう終末の判断がでて、その書類の説明を受ける段階に来ていました。こんなにも早くその時が来るとは思いませんでした。家内と姉夫婦が詰め寄り、その間私は医師のところで終末のケアの判断に署名押印をしました。心臓マッサージ、胃瘻などいろいろありますが、せめて心臓マッサージでもと思ったら、女医さんが「電気でショックをあたえます。でなければ手で致しますが、肋骨が折れる場合もあります」と言われ、止む無く全部処置しないにサインをしました。それは、私の祖父の臨終のとき、父親が親族に延命処置をと言われたのに首を横に振ったのを子供ながらに見ていたからかも知れません。

 私にとっては、初めての判断であり、幾つかの人の臨終に立ち会っていながらも自分の父親、師匠の最後の判断を迫られたのですから複雑な心境でした。その書類を書き終える間もなく、心臓が止まったと告げられました。こんなにもあっけないかと思いつつ、すぐお寺にいる信者さんに電話して、「先住が危篤だから、本堂でお祈りしてください」とお願いして残っていた数名の方が終日、お祈りしてくれました。その日の予定を全部キャンセルし、縁故のある御住職方に連絡をしました。幸い、心臓が動きだし、脈も取れるようになって個室に移りました。その日は意識レベルが最低で反応はありませんでしたが、続々と御住職方がお見舞いに見えてくださり、遠くは東金、東京などから御法務のお忙しい中駆け付けてくださいました。ご信者方も毎日お寺に詰めてお祈りしてくださり、その甲斐あって意識レベルがあがり、翌24日の夕刻には目が開くまでになりました。
 
 結果、危篤から一週間の延命をいただきました。27日の晩、家内と交代で夕方から病院に詰めた私は、アルバムをもって行き、私の小さい時の写真を本人に見えるようにベッドの上に広げました。酸素供給のレベルが日増しにあがり、呼吸も大きく、ゆっくりになっていたのが小刻みに小さくなってきていました。両目を開け、きょろきょろと写真を見ていました。14歳で得度以来、父親ではあるけれど師匠、そして御住職としか呼んだことがなく、自分が2年前に住職になったのに「御住職」と呼んでしまうくらいでした。ですから、お父さんと呼んだのは中学生まででしたので、写真を見せるときは「お父さん、あのね」と語りかけました。ご本人の目にはうっすらと涙が出ていました。
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 それでも僧侶の悲しい性でしょうか?翌日には息を引き取った際、お着せする衣を袋に入れて用意している自分がありました。29日朝5時5分、姉と孫娘、私達夫婦の見守る中臨終をされました。
 数時間後、本堂の正面から御遺体が帰ってこられ、約40年住職をしたお寺に帰ってこられました。もう既に、沢山の御住職方がご自分の朝の勤行を止められ、駆け付けてくださり、葬儀の打ち合わせとなりました。私は借りてきた猫同前で、それでも信者さんの家に周り、所定の法務をこなしました。驚いたのは、臨終の姿です。腎不全ですから手足のむくみがあったのです。それが見る見るうちに引いて行ったのです。このむくみは、納棺や出棺のときまで取れない人がほとんどです。師匠は、亡くなったその数時間で引いているのです。更に、本葬儀出棺まで7日経っていたのですが、死後硬直無く、新しい衣をお着せするのにも難なく袖が通り、皆びっくりでした。肘や膝がダラーンと曲がるのですから。葬儀は大勢の方々の参列をいただきました。信徒の中には「こんなに素晴らしい葬儀見たことがない」と今までお寺とはお付き合い程度だった人が、その日以来、お寺によく足を運ぶようになられました。
葬儀祭壇 1月3日本通夜出座御教務方 霊廟内でのモニター参詣

 実は、師匠の病院に詰めている一週間の間に、一人の信者さんも危篤となられました。この人は80年間にわたる信仰のキャリアをお持ちで、私含め6代の住職に仕えた人です。
 師匠が臨終される一日前に、もう危ないということで、師匠の病室から小一時間抜け出して病院に駆け付けました。もうその時は、師匠よりも先に逝くような有様でした。耳元で御題目を唱えて「しっかり」と声をかけてきました。内心、葬儀になったらどうしよう?と思いました。ところが、それから意識が戻ったそうで、師匠の葬儀に孫娘が「葬儀に行ってきます」というと、こくんと頷いたというのですから。そして師匠の葬儀の際中に亡くなられました。御供をされたのだと思います。
 
 もう一人、師匠の後に亡くなられた方があります。この方は、顕証寺の信者になって7年くらいでしたが、よくお金の面でお寺に貢献をされました。ただ、ちょっと言動に行き過ぎるところもあって、気持ちは良い方でしたが、なかなか人間難しいところがあります。

 手前どもの本門佛立宗の開祖の日扇聖人という方がこういう歌を残しておりますが
「程のよい人はすくなし世の中よ ちとたらぬ人行き過ぎた人」
という御教歌を示されています。地獄の沙汰も金次第といいますが、確かにお金は便利です。でも、お金で買えないものも沢山あります。愛情であったり、善意であったり、やさしい労りの言葉であったり。札束で頬っぺた叩けば「愛している」なんていう嘘を言わすことはできますが、それは本物ではありませんね。
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 その方は、小さい時からご家庭が複雑で寂しい思いをされたと後で知りました。ですから親戚付き合いもあまりなかったように思います。まあ「遠くの親戚より近くの他人」とも言いますが。師匠の葬儀そして忌日にもよくお手伝いをしてくださいました。その時に「もうこれで私も送る人を送ったから」と意味深なことを言われて、以後、身体の調子が悪いということで、ちょっとお休み。良くなったらまたお寺へ行くからとのことでした。最後に私と話した時に「これは御住職だけにお話ししますが」と相談があり、まとめると先程述べました、この世の中はお金ではない、まごころが大事、お金目当てに寄ってくる人がいる等という話をしました。ご本人は気付いていました。ただ、ちょっと遅かった。
 
 それから、あまりにもお寺へ見えないので、信者さんが携帯電話へ電話しました。それでも返信がないので、たまたま息子さんとお寺に見える日が近づいたので息子さんに連絡をしてみたそうです。息子さんが行ってみると既に絶命しておられたそうです。死後、数日が経っており、お寺へご遺体が来られた時、死後硬直で服も着せられない程でした。私は思わず、温かいタオルを用意してと言い、それを使って今日来てくれていますときわ葬儀社の石原さんが一時間以上にわたって解してくれました。お蔭で開いていた口が閉じられました。いくら葬儀屋といってもなかなかできるものではありません。
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 このようにして、実際はお金をかければよい葬儀ができるというものではありません。今日の我々は、物質文明の虜になって、人々の心根も即物的というか、それだけに人の死を見つめない、誤魔化して過ごしている。しかし、ある人は茶化しながらも「大事にすべきは伴侶と医者と坊主だと」
 よりよい葬儀にするためにもまず「臨終の事を先に習ひて後に他事を習ふべし」とよい臨終を迎えるためにも誠実に他人の為になるような生き方を心掛けることが大事です。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ 東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロとイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニワタシハナリタイ

宮沢賢治の母イチ
「人間というものは、人のために何かしてあげる為に、生まれて来たのス」と、口癖のようにいいていたようです。

御指南
「人生れて一日片時もあとへもどらず 人身を受ける事希なる上に此御経にあへり、世間迷妄の凡夫唯眼前の欲に心を取れて未来を思ふ事なし 此経の行者今度いたずらに送る事なかれ 臨終に及んで後悔何の益かあらん」

大ボン(ブログ管理人)コメント:
「追憶のひととき」の法話いかがでしたでしょうか?中には、少し難しいお話もあったかもしれませんが、ご住職は分かり易くお話しして下さいました。葬儀に関しては、人それぞれ考え方があると思いますが、よい臨終・よい葬儀を迎えられるようにしたいものですね♪そのためにも「絆」を大切に(○^∀^)ノ

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