追憶“Special”法話編3  

「法話編2」の続きです。

3.ジンクスと実際

 俗に「触らぬ神に祟りなし」と言われますが、これは、神様とかかわりを持たなければ、神様の祟りを受けるはずもないことから。かかわり合いさえしなければ余計な災いをこうむる心配もないという、主に逃げの処世をいうのであります。
 仏教でいう因果応報は、宇宙の森羅万象、法則道理であります。宇宙がひっくり返らなければ変わりません。その中で、人類は慢心をし、知ったかぶりをしているに過ぎない存在です。したがって、まだまだ科学の力ではわからないことが多いのです。特に自然の驚異には目を見張るものがあります。自然に対する畏怖の念がいわゆる神様を祭る行為になったのではないでしょうか?
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 皆さん!三隣亡ってご存知ですか?歴注、選日の一つですが、建築関係にとっては大凶日であります。この日に、地鎮式や棟上げをすると三軒隣まで滅ぼすことになるというのです。
 今から約10年前。青年教務会と言う組織で本部役員をしていた時、佛立宗の全国寺院を周る活動中、京都の綾部と言うところにある「清現寺」というお寺へ行きました。このお寺のことについて、私がまだ10代の頃、佛立宗の「ふれあい」という雑誌に紹介されているのを読んだことがありました。その時、「えっ?本当にそんなことがあるの?」と思うことが書いてありました。このお寺は建立されてから今日、もう120~130年経っているんですね。しかも一建立で。一建立と言うのは、たった一人の寄進者が建てたという意味です。その人がお寺を建てるのに地鎮式をよりによって「三隣亡」の日にしてくれと建築業者に依頼したのです。どの業者も「滅相もない」と断ったそうです。しかし、その寄進者は「私の御宗旨は万法具足の教え、迷信ではなく、真実の宗教。一切祟りなんかない。一切無障礙と言って、そんな三隣亡なんか関係ない。さあ!」ということで無理遣り引っ張ってきた業者に地鎮式、棟上げをさせ小さいながらも古式ゆかしい寺院が建立されたのでした。
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百聞は一見にしかずで、その話を清現寺の信者に聞いてみると「そうですよ、本当の話。今日まで火事一つ出さずこうして建っています」と。
 どうですか?釈尊の真実の教えに則れば、一切障りなし、一切無障礙というご利益があるんですね。その反対であるその教えに背けば、自分のすることなすことが悪循環となって報いてくるのです。罰が当たってしまうんですね。

 もう一つ、今度は仏事に関するところから見て行きましょう。先程の歴注に、友引というのがありますよね?そうです。この日は葬儀はやらないんですね。なぜって?その日にやると次々にあの世に連れて行かれてしまうから。共に引かれてしまうから縁起でもないと。実際、火葬場が休みなんです。でも、そうもしないと火葬場で働く人、お休み出来ないでしょう?炉の点検や掃除も出来ませんし。こういうのをジンクスっていうのです。ナンセンスが多いように思いますが、何か教訓めいたものが含まれている向きもあります。

 これはどうですか?「納骨は三月に跨ってはいけない」。聞いたことがありますでしょう?大概、納骨は満中陰といって仏教では、死者が生まれ変わる準備期間が一応、満了する日が49日とされています。今日ではこの四十九日忌を目安に納骨式をするのですが、それが亡くなった日からの暦上、三つ月を跨っているとしたら、繰り上げて三十五日にするということが行われているようです。何でか?「始終苦しみが身に付くから」という語呂からです。全くの迷信ですが、これは今日の葬送観に対して一石を投じる教訓にすべきではないでしょうか?
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 今日の葬送は、ユーザの意思を反映する、自由な形の葬儀が増えてきました。以前にもこちらで紹介した映画「おくりびと」の話や直葬、散骨の事などです。散骨は、私共の宗旨でも認めています。ただし、必ずお寺が介在しての事です。この散骨にしてもルールがあるのです。実際、散骨を条例で禁止、制約している地方自治体があります。二三を上げますと、北海道 長沼町、埼玉県秩父市などは風評被害、迷惑防止の条例に列記してあります。長野県諏訪市は散骨場の設置に関わる条件を示していますし、世界遺産に登録された富士山周辺の静岡県御殿場市はハッキリと散骨場は墓地に当たるとして指定の業者が起こした散骨場であればよいが、そうでない場合の罰則を設けています。
 どうですか?散骨といえども好き勝手には出来ないんですよ。こういうのもどうですか?死んで墓の事で子供や孫に迷惑をかけたくないからと個人墓、永代墓を生前頼んで、お参りもしなくてもよい等。これが人生の先輩の言うことですか?教えるべき姿ですか?
先程の「触らぬ神に祟りなし」で、お寺との繋がりも持たない方が良いなどとなったら本当にどうかしていると思います。
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 一昨年、大阪で27件のお骨の遺失物があったそうです。普通の遺失物と同じような扱いをするそうですから、拾って届けた人が六か月経つともらえるんですよ。でも誰も受け取りには来ないそうです。当然ですよね?本当に受け取りに来た人はたった一件だったそうであります。故意なんですね?わざとなんです。こういったお骨は期間が過ぎますと警察の台帳に記録され、お骨周辺の情報は消されるそうです。故意ですから、これがはっきりと捨てましたとなるとお骨遺棄罪といって罪になるからです。刑法190条、191条に死体や遺骨、遺髪などを損壊、遺棄したものは三年以下の懲役。そして、お墓を掘り出し、それらのものを損壊、遺棄または領得したものは三か月以上五年以下の懲役に処するとありますから重い罪になります。最近は、お骨を手元で供養するということがあるそうですが、ペンダントにしたりなどはあまりよい趣味とはいえませんね。ですから、やはり瑕疵が無いよう、しかるべきところに安置、埋葬することが望ましいのです。そういうことがあるから「納骨は三月に跨ってはいけない」と示唆したのではないでしょうか?

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