顕証寺報3月号 所感抄  

顕証寺報 3月

所感抄
                    顕証寺住職・信清宏章

佛立開導日扇聖人御教歌に

孝行の子は子をもたぬ程よりも
 おやの恩しる人の人なり

大意
 世間でも孝行の人がいるのに、真実の御法をお持ちする信者が御奉公に励まず、回向供養もしないということでは情けない。恩を知り、恩に報いるために口唱信行に励ませていただき、御題目を弘め、ご弘通発展に寄与できる信者になることが大事とお示しになられた御教歌。


 この御教歌には「人中之人」と御題が付されています。「ニンチュウシニン」と読むのですが、「人の中の人」と平たく読むとどうでしょう?沢山いる人の中で、優れて立派な人という意味であります。

 よく結婚披露宴などのスピーチでポピュラーなものに「三つの袋を大事に」というのと、もう一つ「人という字は『二人の人が支え合って』できている漢字」というものがあります。では、「ヒト」と表記したらどうでしょう?「ホモ・サピエンス」と言えば学術上、生物学上の動物の一種とされます。「ヒト」という表記はそうした分類の標準和名となります。
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 更に「人間(にんげん)」と言えば、人格そして世の中との関係性、社会の中の人を指します。そもそも、動物の一種であるヒトは、本能のまま生きれば地球上の食物連鎖の上では最大の消費者であります。しかし、いくらそういう存在であっても自然の摂理からすると欲しいままにできるはずはありません。時に人はその存在や自然の驚異、真理を洞察し、探究するものでもあります。また、他人や他の動物、植物との関係性を考え、需要と供給のバランス、均衡を保つようにコントロールする叡智(えいち)をも持っています。

 動物の本能はおよそ「欲」ということに代表されるのではないでしょうか?その中でも特に人には、五欲といって①食欲(摂取)②性欲(繁殖)③睡眠欲(滋養)④金銭欲(生活)⑤名誉欲(自我)の五つ、これらが必要以上に起こると自身や周囲に支障を来たし、罪障となって結果、悩む。すなわち三毒(貪欲・瞋恚・愚癡)となって人としての人格も損ねてしまい、元の「ヒト」になってしまします。ヒトは時には他の動物よりも始末が悪く、万物の霊長どころか犬畜生以下となりかねません。
※三毒①貪欲(とんよく)。むさぼり(必要以上に)求める心。和文では「欲」・「おしい」・「むさぼり」と表現する。②瞋恚(しんに)。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する。③愚癡(ぐち)。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。人間の諸悪・苦しみの根源とされている。
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 動物でさえも他の動物や自然環境との調和を本能で察知しているのに、人は三毒が旺盛になるとそうした自然の恩恵を忘れ、傍若無人な振る舞いをしてしまうのです。

 佛教では「恩恵」は四つあると説かれています。それは、「世・出世の恩に其れ四恩あり。一には父母の恩、二には衆生の恩、三には国王の恩、四には三宝の恩なり。是の如き四恩は、一切衆生平等に荷負す」(心地観経)です。
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 中でも「父母の恩」は、私達一人一人が身近に感じる恩で「母さんが夜なべをして手袋編んでくれた~♪」というフレーズにもあるように父母は陰に陽向に我が子を教育してくれるものであります。しかし、中にはネグレクト(育児放棄)という酷いことをする親達の所業が報道されると何とも浅ましいことと思いますが、時に自然界の動物でも育児放棄はあるようです。ネグレクトとは、心理的虐待および身体的虐待の一種でもあり、自らの実子への無視、特に自立性や自救能力が低く、幼児や低年齢児童の養育を著しく怠ることを指す場合が多いとされています。具体的には食事や衣服の供与、排泄物や廃棄物の始末を適切に行わない、長時間の保護放棄などがあり、しばしば虐待を伴い、その結果、子供は健全な心身の発育を妨げられ、最悪の場合は死に至ることもある。また生存し、その後成人しても殺人などの凶悪犯罪に走るケースも少なくないとされています。積極的に実子を殺す間引きなどの子殺しとは区別されますが、チンパンジー、ニホンザル、ゾウ、トラ、ネズミ、ペンギン、ペリカン、フクロウなどの他の哺乳類や鳥類にも広く認められていることで、環境悪化によるハチ、アリ類の育児放棄や甲殻類の抱卵の途中放棄、植物の落果現象なども含めるとすれば、生物界全体に広く認められる現象であるとされています。そう考えると人間も動物と何ら変わりがないと妙に腑に落ちますが、親が子を殺す、はたまた、世話になった年老いた親の面倒も見ないというのが本当に人間であて良いのでしょうか?
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 だからこそ人は、人人との関係の中で学ばなくてはならず、「恩」を知らなければなりません。そして、恩に報いる報恩行をしなくてはなりません。そうして初めて人間のスタートラインに並ぶのではないでしょうか?

 親に孝行こそがまず報恩行の一歩であります。世間でも「孝は百行の本」と古くから言われ、お祖師さまは「一には父母に孝あるべし。二には主に忠あるべし。三には友に合て禮あるべし。四には劣れるに逢って慈悲あれと也」(上野殿御消息昭定一一二四頁)とお示しです。

佛立開導日扇聖人御指南に
「愚人の日。今の世に親孝行。主に忠義なんど云う者は旧弊也頑固也 因循也と云々 天罰は時節によらず万代不易也 謗法は不幸也 師恩を忘れて信行すとも 現罰堕獄免れたるもの古来なし」(扇全十一巻三十頁)


 暑さ寒さも彼岸までといわれるように、昔の人は良く言ったものです。井原西鶴という人が「家栄え、家滅ぶも、皆これ、人の孝不孝とにありける」との言を遺しております。報恩行こそは、確かな御法をお持ちし、御題目口唱の功徳を生きている者に施し、更には亡き父母、ご先祖等の精霊に回向供養することが大事です。

 

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