顕証寺報8月号 所感抄  

顕証寺報 8月

所感抄
                                    顕証寺住職・信清宏章

佛立開導日扇聖人御教歌に

 いさゝかの
   有志もだせぬ手元にて
  物見遊参は何の事かい

大意
 信心は良いけど、実際に御奉公あるいは、お参詣・御布施・御供養・御有志となると色々と理屈を並べて泣き言を言ったり、挙句の果てには逆上したりと信者らしからぬ人がいる。そのくせ、自分に関係のある事や楽しみの物見遊山となるとイソイソとそろそろと出掛け、出てくる。一体、どういう料簡か?こういう信者になってはいけないとお誡めになられた御教歌。


 今年も七里ヶ浜町内会の納涼の夕べがやってきます。そして、記念すべき「第一回 佛立大学講座」が8月10日、当山で開催されます。

 平成5年から毎年夏期参詣中に、くんげ会の企画「信行道場」が開催され、夏期参詣からお参詣がグ~ンと伸びました。顕証寺は、鎌倉親会場の時代から「イベント型」の信者が多く、御会式などはやっと参詣があるものの平素のお参詣となるとあまり振るわないという悪い伝統があったようです。先住師匠から生前「昭和44年の夏期参詣だったと思う。初めて一日だけで100名の参詣があったと御披露があり、拍手喝采の場面があった」と聞かされました。新本堂建立以前の夏期参詣は、昭和62年の累計1,965名、一日平均63名が最高記録でした。それが、平成元年の新本堂建立直後には2,089名、一日平均67名と平均4名の増加となりました。更に、私が帰山した平成2年には、2,335名平均75名で飛躍的な増加をみました。翌平成3年には一日平均11名が増加で平均86名累計2,666名、それが毎年平均10名増加で、とうとう平成6年には、累計3,334名の平均107名というレコードを残しております。この記録の背景には、教養各会の活動が活発になったのと「信行道場」をきっかけにご信心ご奉公に「関心」が寄せられるようになったことだと思います。

 かつて、欧米に比べて日本人の地域貢献度は低いと言われてきました。定年退職を機に、地域の活動に参加するようになるのですが、大概は、以前は何処に勤めて何の役をやっていたかという自慢話をする人が大半で、肉体労働や奉仕ではなく、いわゆる「肩書き」欲しさのもので、会長職などを目当てにする人がいるというような話を聞いた事があります。このように地域や他の活動に関心や好意を寄せるような「目先」の何かがあるかどうかでもって、動きがでてくるものであります。

 話は変わって、昨今宗内で囁かれていることは、これからのお寺の在り方です。少子高齢化はお寺にも影響しております。特に、老齢と財的な負担が目立ちます。

 でも、いつも言っているのですが、10年も20年前も条件はあまり変わっていません。役中さんの平均年齢はむしろ、1・2歳は若くなっているでしょう?逆に今は何でも「自動化」で「してもらう」ことに慣れすぎて「してあげる」ことが無くなってきているようにも思われます。かつて「近頃の若者はなっていない!」と叱責していたのが、そういう気骨のあるお年寄りも少なくなり、怒られるかもしれませんが「近頃のお年寄りはなっていない!」といわれても仕方がないような光景に出くわすことがあります。

 昨年4月の日精上人の御年回忌を期に、リフレッシュ工事をいたしました。その折、ソーラーパネルを一新し「メガソーラー」に切り替えました。発電量が増え、売電額も今までの数倍に達します。毎月の電気使用量が大きく軽減され、地域にも発電の供給がなされています。エネルギーの問題は深刻です。福島の第一原発の放射能事故は、まだまだ解決しておりません。「見えない恐怖」です。いわき妙運寺のご住職から電話があり「かつて地域活性の為にお付き合いをしてきた業者の家族が津波で一家を失い、残された御主人を助ける為にご信者と協力をして塔婆を謹製したので購入してくれ!」と頼まれたので注文しました。また、福島では「水」が汚染されていて、ペットボトルの水を携行し、何をするのでも水道の水は使えないそうです。顕証寺でも今度は、福島の方々の為にも御有志を募ろうかと考えております。

 「いさゝか」とは少しばかりという意味ですが、少しの工夫をするだけで違いも出てくるのです。お寺も老齢と財的な負担の軽減を考える時です。しかし、信心低下は歯止めしなければなりません。若い人、次世代の人の「いさゝか」の信心が待たれます。

 だから、今回の「佛立大学講座」はかつての「信行道場」に代わるものとして位置付けております。昨年は、婦人会に呼びかけて町内の納涼の夕べに「ハワイ音頭」で出演しました。好評で「今年も!」と声がかかりましたが、身内の声で今年は止めます(笑)これを機に「イベント型」ではなく「信心のイノベーション型」にご信者それぞれが転換出来たら素晴らしいことだと思います。

 「いさゝか」の信心を起こせば、御参詣も御有志も出来るのに、それが何だかんだと理屈をこねて出来ない、しないというのは本当に罪障だと思います。その罪障の殆どは「口の罪障」です。やれ、寺には物が豊富だからやらなくても良い、寺の住職の方針が気に入らない、あの信者が嫌いだから参らない等々と。それでは、いくらご信心したとしても意味がありません。
愚痴は不知恩、人間には非ず、畜生の行いです。


佛立開導日扇聖人御指南に
「御法の為に財を出すは驕りに
非ずは果報を増長す 一粒万倍
とは是也 俗物は之を知らず」
(扇全十四巻一九五頁)


 自分の狭い料簡や浅薄な考え、思いで己が信心を台無しにしないようにしたいものです。私達は兎角、出来ないことの理由を他に、そして人に転嫁する傾向があります。私達はあくまで凡夫との分際を弁えて、佛立の信者として世間の人に笑われることの無いよう、お寺のそして御弘通発展の為に「いさゝか」の信心を起こして臨ませていただこうではありませんか!

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